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東京高等裁判所 平成7年(行ケ)237号 判決

東京都新宿区市谷加賀町1丁目1番1号

原告

大日本印刷株式会社

代表者代表取締役

北島義俊

訴訟代理人弁理士

佐藤一雄

前島旭

同弁護士

吉武賢次

神谷巖

同弁理士

中村行孝

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官

荒井寿光

指定代理人

中田とし子

花岡明子

松本悟

吉野日出夫

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第1  当事者が求める裁判

1  原告

「特許庁が平成4年審判第9080号事件について平成7年7月3日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

2  被告

主文と同旨の判決

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和58年4月27日に名称を「感熱磁気記録媒体」とする発明(以下、「本願発明」という。)について特許出願(昭和58年特許願第74736号)をし、平成4年3月23日に拒絶査定がなされたので、同年5月21日に査定不服の審判を請求し、平成4年審判第9080号事件として審理された結果、平成5年10月28日に特許出願公告(平成5年特許出願公告第78432号)がなされたが、特許異議の申立てがあり、平成7年7月3日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決がなされ、その謄本は同年8月30日原告に送達された。

2  本願発明の要旨(別紙図面A参照)

基体上の全面に、磁気記録層を設けるとともに、該磁気記録層上の全面に感熱記録層として感熱発色層を設け、さらにこの感熱発色層上に紫外線硬化型樹脂からなる保護層を設けてなることを特徴とする、感熱磁気記録媒体

3  審決の理由の要点

(1)  本願発明の要旨は、特許請求の範囲1項に記載された前項のとおりのものと認める。

(2)  これに対し、本出願前に頒布された刊行物である昭和54年実用新案登録願第63033号(昭和55年実用新案出願公開第165442号)の願書に添付された明細書及び図面の内容を撮影したマイクロフィルムの写し(以下、「引用例1」という。別紙図面B参照)には、「支持体上に厚さ10~30μの磁気記録層及び厚さ5~10μの感熱発色層を順次設けたことを特徴とする磁気感熱記録体」(実用新案登録請求の範囲)、「本考案は、磁気記録体及び感熱記録体、両者の機能を兼ね備え、且つ、磁気記録層の色調が隠ペイされた外観の美しい磁気感熱記録体を提供することにある。即ち、本考案は支持体上に、厚さ10~30μの磁気記録層及び厚さ5~10μの感熱発色層を順次設けたことを特徴とする磁気感熱記録体であって、磁気記録層は感熱発色層により被覆されているため外観を損う様な事はなく、しかも各層の厚さは、各層の機能を害することのない様に設定されているため磁気記録体としても又、感熱記録体としても優れたものである。本考案記録体の実施例について説明すると、第1図に示すように紙又はプラスチック等の支持体1上に、まず例えばγ-Fe2O3、分散剤及び結合剤等より成る通常の磁気記録層2を設ける。磁気記録層2の厚さは10~30μが好ましく、この厚さにおいて良好な磁気記録体として作用する。次いで染料、酸性物質、結合剤、無機顔料等より成る適常用いられる感熱発色層3を設ける。この際の厚さは、下層の磁気記録層2に対する隠ペイ率、発色画像濃度及び磁気記録層2の再生出力から5~10μが好ましい。」(2頁8行ないし3頁10行)、「感熱発色層の厚さ5~10μの時、下層の磁気記録層の茶褐色を充分に隠ペイした、発色画像濃度大、且つ、下層の磁気記録体の再生出力低下の少ない磁気感熱記録体が得られることが判明した。」(4頁17行ないし5頁1行)と記載されている。

以上の記載からみて、引用例1には、「支持体上に厚さ10~30μの磁気記録層及び厚さ5~10μの感熱発色層を順次設けて、磁気記録層を感熱発色層により被覆し、各層の厚さを、磁気記録体、感熱記録体としての各層の機能を害することのない様に設定し、感熱発色層が下層の磁気記録層の茶褐色を充分に隠ペイした、発色画像濃度大、且つ、下層の磁気記録体の再生出力低下の少ないことを特徴とする磁気感熱記録体」が記載されているものと認める。

同じく、本出願前に頒布された刊行物である昭和54年特許出願公開第3549号公報(以下、「引用例2」という。)には、「無色ないし淡色の発色性物質とフェノール性化合物及び結着剤を含む感熱記録層の上に紫外線硬化樹脂の薄膜を設けたことを特徴とする感熱記録体」(特許請求の範囲)、「本発明者等は以上のような感熱記録体の欠点を改良するため種々研究を行った結果、感熱記録層の上に紫外線硬化樹脂の薄膜を設けることが、該記録層の耐水強度の向上及び熱ヘッドヘの付着防止に極めて効果があることを見出した。さらにまた本発明による紫外線硬化樹脂の薄層を設けることによって引かき力等の圧力発色が防止され(中略)さらに本発明による大きな効果として、紫外線硬化ビヒクルは文字通り紫外線を照射して硬化させるため、感熱記録層の地かぶりを生じさせることなく充分な硬化が行われる。」(2頁左上欄16行ないし右上欄10行)、「以下本発明の効果を列挙し詳しく説明する。第1の効果は紫外線硬化樹脂が無溶剤タイプであり、文字通り紫外線エネルギーを照射して瞬間的に硬化できるため、感熱記録層の発色(地かぶり)を起させずに、しかも完全に硬化でき」(2頁右下欄12行ないし17行)と記載されている。

(3)  本願発明と引用例1記載のものとを対比すると、引用例1記載の「支持体、感熱記録体、磁気感熱記録体」は、それぞれ本願発明の「基体、感熱記録層、感熱磁気記録媒体」に相当し、また、引用例1記載のものは、磁気記録層を感熱発色剤により被覆し、各層の厚さを、磁気記録体、感熱記録体としての各層の機能を害することのない様に設定し、感熱発色層が下層の磁気記録層の茶褐色を充分に隠ペイしたものであって、磁気記録層上の全面に感熱記録体(感熱記録層)として感熱発色層を設けていることは明らかであるから、両者は、「基体上に、磁気記録層を設けるとともに、該磁気記録層上の全面に感熱記録層として感熱発色層を設けてなることを特徴とする、感熱磁気記録媒体」である点で一致し、

〈1〉 磁気記録層を、本願発明が、基体上の全面に設けているのに対して、引用例1には、全面に設けることが明示されていない点

〈2〉 本願発明が、「感熱発色層上に紫外線硬化型樹脂からなる保護層を設けてなる」を構成要件としているのに対して、引用例1には、該構成要件が示されていない点において相違する。

(4)  判断

〈1〉 相違点〈1〉について

引用例1に記載されたものは、「磁気感熱記録体とは、前記2つの記録体(磁気記録体と感熱記録体)を組み合せたものであって、従来は、支持体の一方の面に磁気記録層を設け、更にもう一方の面に感熱発色層を設けたものである」ことを前提としており、「この磁気感熱記録体は一つの記録体で前記2つの記録体の機能を兼ね備えたものであり、極めて利用価値が高い反面、磁性層側の磁性体の色例えばγ-Fe2O3の茶褐色、Co-Fe3O4及びCrO2の暗黒色等により大いに美観が損われる欠点を有している」(1頁18行ないし2頁7行)ので、この欠点を改良するために、支持体のもう一方の面に感熱発色層を設ける代わりに、支持体(基体)の一方の面に設けた「磁気記録層上の全面に感熱記録体(感熱記録層)として感熱発色層を設けてなる」という上記の構成を採用したものと認められるが、基体の一方の面に磁気記録層を設ける場合に、基体上の全面に設けることは、ストライプ状に設けることと同様に周知である(例えば、昭和50年実用新案出願公開第69102号公報、昭和52年特許出願公開第123633号公報の第1図参照)から、基体の一方の面に、磁気記録層を設けるとともに、該磁気記録層上の全面に感熱記録層として感熱発色層を設ける場合に、基体上の全面に、磁気記録層を設けることは、上記周知技術に基づいて当業者が容易になしえた設計的事項にすぎない。

〈2〉 相違点〈2〉について

感熱記録層の引かき力等による圧力発色の防止(表面硬度の向上)、熱ヘッドへの付着防止(汚染、劣化の防止)等の効果に加えて、「紫外線硬化樹脂が無溶剤タイプであり、文字通り紫外線エネルギーを照射して瞬間的に硬化できるため、感熱記録層の発色(地かぶり)を起させずに、しかも完全に硬化できる」という効果を期待して、感熱記録層(感熱発色層)上に紫外線硬化樹脂(紫外線硬化型樹脂)からなる保護層を設けることが引用例2に記載されているから、上記の効果を期待して、引用例1記載の感熱磁気記録媒体の感熱発色層上に、引用例2記載の紫外線硬化型樹脂からなる保護層を設けて本願発明の構成とすることは、当業者が容易に想到しえたものと認める。

(5)  したがって、本願発明は、引用例1及び引用例2記載の技術的事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものと認められるので、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。

4  審決の取消事由

本願発明と引用例1記載のものとが審決認定の2点において相違することは認める。しかしながら、審決は、本願発明と引用例1記載のものとの相違点を看過し、かつ、引用例1記載の技術内容を誤認した結果、相違点〈2〉の判断を誤って、本願発明の進歩性を否定したものであって、違法であるから、取り消されるべきである。

(1)  相違点の看過

本願発明は、磁気記録層を基体上の全面に設け、その磁気記録層上の全面に感熱発色層を設ける構成のものである。すなわち、本願発明が要旨とする感熱発色層は、基体上の全面に設けられるものであるが、引用例1には、その感熱発色層を支持体上の全面に設けることは明示も暗示もされていないから、審決が本願発明と引用例1記載のものとの相違点を看過していることは明らかである。

すなわち、本願発明は、感熱発色層を基体上の全面に設ける構成によって、感熱記録の容量を最も多くし、かつ、磁気情報及び可視情報のダブルチェックによって記録媒体の偽造変造を困難にするという顕著な作用効果を奏するものである。のみならず、感熱発色層を磁気記録層上の一部にだけ設けると、感熱発色層の端部に段差が形成され、記録や読取りがうまくできないばかりでなく、感熱ヘッドの摺動によって感熱発色層が崩れていく欠点を生ずるが、本願発明は、感熱発色層を基体の全面に設けることによって、従来技術のこの問題点をも解決したものである。したがって、審決が本願発明と引用例1記載のものとの前記相違点を看過し、その予測性を検討しなかったことは、本願発明の進歩性を否定した審決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。

この点について、被告は、本願発明の特許請求の範囲には、感熱発色層を基体上の全面に設けることは記載されておらず、ただ、「基体上の全面に、磁気記録層を設ける」ことの結果として、その「磁気記録層上の全面に(中略)設け」られる感熱発色層が基体上の全面に設けられることになるにすぎないと主張する。

しかしながら、本願発明が要旨とする感熱発色層は、磁気記録層が基体上の全面に設けられる結果として、たまたま基体上の全面に設けられることになるものではなく、より多くの可視情報を記録する目的をもって基体上の全面に設ける構成が採用されているのである。そして、本出願前には、記録媒体の悪用を防止するために極めて多くの可視情報を記録する必要性があることは、未だ予測されていなかったのであるから、被告の上記主張は当たらないものである。

(2)  相違点〈2〉の判断の誤り

本願発明は、磁気記録層に記録される磁気情報に加えて、感熱発色層に可視情報を記録することによって、記録媒体の偽造変造を防止しうるという顕著な作用効果を奏するものである。

これに反し、引用例1記載の感熱発色層は、可視情報を記録するためのものではなく、単に、下層の磁気記録層を隠ペイし、美観を得るためのものにすぎない。このことは、引用例1には、磁気記録層について「再生出力は、各記録体を(中略)磁気再生機(中略)に磁気感熱記録体をセットし、1KHzの録音信号を再生し、入力電圧に対する出力電圧の百分率を測定する」(4頁12行ないし16行)と記載され、信号の記録再生をすることが明記されているのに反し、感熱発色層については、「各々の記録体を圧力2kg/cm2で、140℃に加熱された熱ヘッドを通し、発色画像形成し」(同頁7行ないし9行)と記載されているのみで、何らかの信号を記録再生することは全く開示されていないことから明らかである。すなわち、このように一定温度の熱ヘッドを使用して発色させれば、感熱発色層は全面一様に発色してしまい、情報を記録することができないことは当然であるし、「下層の磁気記録層の茶褐色を充分に隠ペイ」(同頁18行、19行)するためには、文字あるいは記号等の記載部分だけでなく、まさしく全面一様に発色させなければならないのである。なお、上記の「下層の磁気記録層の茶褐色を充分に隠ペイ」することは、感熱発色層を発色させた後のこととして述べられているのであって、被告が主張するように、感熱発色層を設けた段階のこととして述べられているのではない。この点について、被告は、引用例1においては隠ペイ率と発色画像濃度とが別個のものとして記載され、測定されていると主張するが、感熱発色層の発色後の隠ペイ率と画像濃度とは全く同様の傾向を示すものであり、引用例1には、これらを重ねて測定した結果が記載されているにすぎないから、被告の上記主張は誤りである(引用例1の4頁1行ないし6行に記載されている感熱発色層も、感熱発色前は透明に近い半透明であって、下層の磁気記録層を隠ペイすることはできない。)。

このように、引用例1記載の感熱発色層が可視情報を記録するためのものではない以上、引用例1記載の技術的事項と引用例2記載の技術的事項とを組み合わせても、感熱発色層に情報を感熱記録させることを特徴とする本願発明に到達することはできない。したがって、引用例1に記載された感熱磁気記録媒体の感熱発色層上に、引用例2に記載された紫外線硬化型樹脂からなる保護層を設けて本願発明の構成とすることは当業者が容易に想到しえたとする審決の相違点〈2〉の判断は、誤りである。

第3  請求原因の認否及び被告の主張

請求原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本願発明の要旨)及び3(審決の理由の要点)は認めるが、4(審決の取消事由)は争う。審決の認定判断は正当であって、これを取り消すべき理由はない。

1  相違点の看過について

原告は、本願発明の感熱発色層は基体上の全面に設けられるものであるが、引用例1にはその感熱発色層を支持体上の全面に設けることは明示も暗示もされていないから、審決は本願発明と引用例1記載のものとの相違点を看過していると主張する。

しかしながら、本願発明の特許請求の範囲には、感熱発色層を基体上の全面に設けることは記載されておらず、ただ、「基体上の全面に、磁気記録層を設ける」ことの結果として、その「磁気記録層上の全面に(中略)設け」られる感熱発色層が基体上の全面に設けられることになるにすぎない。したがって、本願発明の感熱発色層は基体上の全面に設けられるものであるという原告の主張は、特許請求の範囲の記載に基づかないものである。

この点について、原告は、本願発明は、感熱発色層を基体上の全面に設ける構成によって、感熱記録の容量を最も多くし、記録媒体の偽造変造を困難にする作用効果を奏するのみならず、感熱発色層を磁気記録層上の一部にだけ設ける従来技術の問題点を解決したものであると主張する。

しかしながら、審決に説示したとおり、基体上の全面に磁気記録層を設けることが周知である以上、その磁気記録層上の全面に感熱発色層を設ければより多くの可視情報を記録しうることは自明であるから、本願発明が奏する作用効果は格別のものではない。また、本願発明が感熱発色層を磁気記録層上の一部にだけ設ける従来技術の問題点を解決したとする点は、本願明細書に全く記載されていない事項であるうえ、引用例1記載のものも、「磁気記録層の色調が隠ペイされた外観の美しい磁気感熱記録体」(2頁9行、10行)、「磁気記録層は感熱発色層により被覆されているため外観を損う様な事はなく」(2頁14行ないし16行)、「感熱発色層の厚さ5~10μの時、下層の磁気記録層の茶褐色を充分に隠ペイした」(4頁17行ないし19行)及び別紙図面Bの第1図から明らかなように、「磁気記録層上の全面に感熱記録体(磁気記録層)として感熱発色層を設けている」のであるから、原告の上記主張は失当である。

また、原告は、本願発明の感熱発色層はより多くの可視情報を記録する目的をもって基体上の全面に設ける構成が採用されているのであって、本出願前には記録媒体の悪用を防止するために極めて多くの可視情報を記録する必要性があることは予測されていなかったと主張する。

しかしながら、本願明細書には、より多くの可視情報を記録するという作用効果が、感熱発色層を基体上の全面に設けることと関連付けて記載されているわけではない。のみならず、基体上の全面に磁気記録層を設け、その磁気記録層上の全面に感熱発色層を設ければより多くの可視情報を記録しうることは前記のとおり自明のことにすぎないから、原告の上記主張は当たらない。

2  相違点〈2〉の判断について

原告は、引用例1記載の感熱発色層は可視情報を記録するためのものではなく、下層の磁気記録層を隠ペイし美観を得るためのものにすぎないと主張する。

しかしながら、引用例1記載の感熱発色層が情報を記録するためのものであることは、同引用例の「感熱記録体とは支持体上に感熱発色層を設けたものであって、熱に熱応して発色画像を形成するものである。」(1頁16行ないし18行)、「本考案は、磁気記録体及び感熱記録体、両者の機能を兼ね備え」(2頁8行、9行)、「各層の厚さは、各層の機能を害することのない様に設定されているため磁気記録体としても又、感熱記録体としても優れたものである。」(同頁16行ないし19行)という記載、並びに、3頁8行ないし11行及び別紙図面Bの第2、3図に、隠ペイ率と発色画像濃度とが別個のものとして記載され、測定されていることから明らかである。そもそも、原告が指摘する引用例1の4頁7行ないし9行の記載自体が「発色画像形成し」というものである以上、引用例1記載の感熱発色層が、原告主張のように全面一様に発色するものではなく、文字あるいは記号等の情報を記録しうるものであることは明らかである。また、感熱発色層は、通常、白色顔料等が配合されているため白色不透明のものであって、5~10μの厚さであれば充分な隠ペイ力を有するから、引用例1の4頁1行ないし6行に記載されている感熱発色層は感熱発色前は透明に近い半透明であって下層の磁気記録層を隠ペイすることはできないという原告の主張は、技術常識に反する。

付言するに、本願明細書及び引用例1には、ともに「感熱記録」という用語が使用されているが、この「感熱記録」という用語は、昭和52年特許出願公開第123633号公報、昭和55年特許出願公開第9830号公報の記載から明らかなように、文字あるいは記号等の可視情報の記録を意味する、確立した概念である。しかるに、原告は、同じ「感熱記録」という用語を、本願発明においては可視情報を記録する意味とし、引用例1記載のものにおいては可視情報を記録する意味ではないとするのであるから、原告の主張が失当であることは明らかである。

第4  証拠関係

証拠関係は、本件訴訟記録中の書証目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

第1  請求原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本願発明の要旨)及び3(審決の理由の要点)は、当事者間に争いがない。

第2  そこで、原告主張の審決取消事由の当否を検討する。

1  成立に争いのない甲第2号証(特許出願公告公報)によれば、本願明細書には、本願発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果が、次のように記載されていることが認められる(別紙図面A参照)。

(1)  技術的課題(目的)

本願発明は、磁気記録層及び感熱発色層を有する感熱磁気記録媒体に関する(1欄15行、16行)。

プラスチック等の基体の表面に磁気記録層が設けられてなる磁気記録媒体は、クレジットカード、キャッシュカード、IDカード、乗車券、定期券、磁気テープ等として広く用いられているが(1欄18行ないし22行)、このような記録媒体に可視情報を記録する必要が生じてくる場合があり、磁気記録媒体の基体表面の余白部または裏面に文字等を印刷することが行われている(2欄2行ないし6行)。しかし、磁気記録媒体はサイズが小さいので、必要な可視情報を印刷するスペースが不足し、充分な情報を印刷できないという欠点があった(2欄6行ないし10行)。

そこで、磁気記録媒体の磁気記録層上にも文字等の可視情報が印刷されているものが現れてきたが、その可視情報は各種の印刷手段によって形成されるものであって、情報内容が画一的かつ固定的で変化に乏しく、個々の情況に応じた個別の情報を印刷することはコストアップにつながるという欠点があった(2欄11行ないし21行)。

そのため、記録媒体に感熱発色層を設け、可視情報の記録を加熱手段による発色で行うことが提案されたが、従来、帯状に形成されていた磁気記録層の上に感熱発色層を形成することは、その表面を均一にするのに技術を要するという欠点があり(2欄22行ないし3欄7行)、また、磁気記録層と感熱記録層を同一平面に設けたり、感熱記録層の上に磁気記録層を設けることも提案されているが、いずれも製造工程が複雑である(3欄8行ないし11行)。

ところで、近年、キャッシュカード等の磁気記録媒体の偽造変造が大きな社会問題となりつつあり、いかにしてこれを防止するかについて多くの研究がなされているが、簡単かつ効果的な防止法は未だに見出だされていない(3欄17行ないし23行)。

本願発明の技術的課題(目的)は、以上のような従来技術の問題点を解決しうる磁気記録媒体を提供することである(3欄25行ないし27行)。

(2)  構成

上記目的を達成するために、本願発明は、その要旨とする特許請求の範囲記載の構成を採用したものである(1欄2行ないし6行)。

なお、可視情報は、感熱発色層にサーマルヘッド等の加熱手段を接触させることによって記録される(3欄44行ないし4欄2行)。そして、本願発明における保護層は、感熱記録層へのサーマルヘッドの接触による記録(中略)劣化を防止する上で有利であり、さらに溶剤等を用いて感熱記録層の情報を溶解して偽造する行為に対しても有効である(8欄26行ないし32行)。

(3)  作用効果

本願発明の構成によれば、〈1〉磁気情報及び可視情報を記録媒体の全面に重複して記録できるので、多くの情報量の記録が可能になる、〈2〉磁気情報に加えて、個々の情況に応じた個別の可視情報が簡単に記録でき、しかも、可視情報の領域を自由にとることができる、〈3〉磁気記録層上に感熱発色層が一体的に設けられているため、磁気記録層のみの記録媒体よりも偽造変造が困難である、〈4〉バーコード、OCR文字、氏名、有効期限等の可視情報を記録できるため、磁気的チェックと機械的読出しチェックとのダブルチェックが可能となり、この点からも記録媒体の偽造変造が困難である、〈5〉製造工程及び各層の層厚形成の均一化が容易である、との作用効果を奏することができる(11欄8行ないし12欄12行)。

2  相違点の看過について

原告は、本願発明が要旨とする感熱発色層は基体上の全面に設けられるものであるが、引用例1にはその感熱発色層を支持体上の全面に設けることは暗示すらされておらず、審決は本願発明と引用例1記載のものとの相違点を看過していると主張する。

原告の上記主張に対し、被告は、本願発明の特許請求の範囲には感熱発色層を基体上の全面に設けることは記載されておらず、原告の主張は特許請求の範囲に基づかないものであると主張するが、本願発明の特許請求の範囲には、前記のとおり、「基体上の全面に、磁気記録層を設ける」ことと、「該磁気記録層の全面に感熱記録層として感熱発色層を設け」ることが記載されており、本願発明が要旨とする感熱発色層が(磁気記録層を間に挟んで)基体の全面に設けられるものであることは、その特許請求の範囲の記載から一義的に明確であるから、被告の上記主張は失当である。

そこで、引用例1記載のものの技術内容について検討すると、前掲甲第3号証によれば、引用例1には、その感熱発色層を支持体上の全面に設けることを明示する記載は存しないことが認められる。しかしながら、同号証によれば、引用例1には、その実用新案登録請求の範囲として「支持体上に厚さ10~30μの磁気記録層及び厚さ5~10μの感熱記録層を順次設けたことを特徴とする磁気感熱記録体」(1頁5行ないし7行)と記載され、また、考案の詳細な説明の欄に、

a  「本考案は、(中略)磁気記録層の色調が隠ペイされた外観の美しい磁気感熱記録体を提供する。即ち、本考案は、支持体上に厚さ10~30μの磁気記録層及び厚さ5~10μの感熱記録層を順次設けた磁気感熱記録体であって、磁気記録層は感熱記録層により被覆されているため外観を損う様な事はなく」(2頁8行ないし16行)

b  実施例の説明として、「第1図に示すように紙又はプラスチック等の支持体1上に、まず例えばγ-Fe2  O3、分散剤及び結合剤等より成る通常の磁気記録層2を設ける。(中略)次いで染料、酸性物質、結合剤、無機顔料等より成る通常用いられている感熱発色層3を設ける。この際の層の厚さは、下層の磁気記録層2に対する隠ペイ率、発色画像濃度及び磁気記録層2の再生出力から5~10μが好ましい。」(3頁1行ないし10行)

c  同じく実施例の説明として、「感熱発色層の厚さと、隠ペイ率、発色濃度との関係、更には下層の磁気記録層の再生出力との関係を測定して、結果を第2~4図に示した。(中略)これらの図からも明らかな様に感熱発色層の厚さ5~10μの時、下層の磁気記録層の茶褐色を充分に隠ペイした(中略)磁気感熱記録体が得られることが判明した。」(4頁9行ないし5頁1行)

と記載されていることが認められる。

これらの記載によれば、引用例1には、磁気記録層を感熱発色層で被覆することによって、磁気記録層の茶褐色等の色調を隠ペイした、外観の美しい磁気感熱記録体が開示されていることが明らかである。

そして、審決が相違点〈1〉に関する判断において説示するとおり、基体(すなわち、支持体)上の全面に磁気記録層を設けることは周知の技術的事項であり(このことは原告も争っていない。)、引用例1記載のものにおいて、磁気記録層を支持体の全面に設けることとし、かつ、その磁気記録層の茶褐色等の色調を隠ペイし、外観の美しい磁気感熱記録体を得るためには、感熱発色層も、適宜の厚さをもって支持体上の全面に設ける必要があることは自明の事項にすぎないから、結局、引用例1には、その感熱発色層を、下層の磁気記録層と同じく、支持体上の全面に設けることが開示されているというべきである。

したがって、審決は本願発明と引用例1記載のものとの相違点を看過しているという原告の主張は理由がない。

3  相違点の判断について

原告は、引用例1記載の感熱発色層が可視情報を記録するためのものではない以上、引用例1記載の技術的事項と引用例2記載の技術的事項とを組み合わせても感熱発色層に情報を感熱記録させることを特徴とする本願発明に到達しないと主張する。

この主張の趣旨は必ずしも明確でないが、本願発明が要旨とする「保護層」は前記のとおり「感熱記録層へのサーマルヘッドの接触による記録(中略)劣化を防止する上で有利であり、さらに溶剤等を用いて感熱記録層の情報を溶解して偽造する行為に対しても有効である」(本願公報8欄27行ないし32行)との作用を果たすものであるから、可視情報を記録するためのものではない引用例1記載の感熱発色層の上に引用例2記載の保護層を設けても、本願発明と同一の構成は得られないし、そもそもそのような組合わせをすることにには技術的必然性がないということであると解される。

そこで検討するに、成立に争いのない甲第3号証によれば、引用例1には、「感熱記録体とは支持体上に感熱発色層を設けたものであって、熱に熱応して発色画像を形成するものである。」(1頁16行ないし18行)「本考案は、磁気記録体及び感熱記録体、両者の機能を兼ね備え」(2頁8行、9行)、「本考案は(中略)磁気記録体としても又、感熱記録体としても優れたものである。」(2頁12行ないし19行)と記載され、なお、実施例の説明として、「各々の記録体を(中略)加熱された熱ヘッドを通し、発色画像形成し」(4頁7行ないし9行)と記載されていることが認められる。

上記の各記載と、感熱記録体に文字等を記録する際は熱ヘッドにより熱を与えることが技術常識であることとを併せ考えれば、引用例1記載の感熱発色層は、発色画像形成することによって、下層の磁気記録層の色調を隠ペイするとともに、感熱記録体としての本来の機能、すなわち、文字あるいは記号等の可視情報を記録するものであることに疑問の余地はない。そうすると、引用例1記載の感熱発色層が可視情報を記録するためのものではないことを前提とする原告の前記主張が失当であることは明らかである。

なお、原告は、引用例1記載の感熱発色層は、発色前は下層の磁気記録層を充分に隠ペイすることはできない旨を主張している。しかしながら、審決は、引用例1記載の感熱発色層がその発色前において磁気記録層を隠ペイするか否かを、本願発明と引用例1記載のものとの一致点あるいは相違点として認定しているのではない(引用例1記載のものが、少なくとも、感熱発色後に磁気記録層を隠ペイしていることは前述のとおりである。)から、原告の上記主張の当否は審決の認定の当否に影響を及ぼすものではない。

したがって、審決の相違点〈2〉の判断の誤りをいう原告の主張も理由がない。

4  以上のとおりであるから、審決の認定判断は正当として肯認しうるものであって、本願発明の進歩性を否定した審決に原告主張のような誤りはない。

第3  よって、審決の取消しを求める原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 春日民雄 裁判官 持本健司)

別紙図面 A

1…記録媒体 2…基体 3…磁気記録層 4…感熱発色層 5…保護層

〈省略〉

別紙図面 B

1…支持体 2…磁気記録層 3…感熱発色層

〈省略〉

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